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およそ1200年も前から現代に至るまで、私達日本人はおろか世界中の人々に好かれてきた扇子について、あなたはどれだけご存じですか?今回は、名前や使い方の様な誰にでも分かることではなく、生まれた経緯やどの様な形で発展し、現在の様な使われ方をされる様になったのか?ご紹介していきます。

まだ扇子ではなかった時代の事

せんすのルーツは、桧扇と呼ばれる細長い木の板であったとされます。この当時は紙も高級品であったため、木で作られた桧扇を手に持ち、儀式の際にはカンニングペーパーの様な使い方をされていたと言われています。

桧扇の使い方から木簡とも言われ、発見されている最も古い木簡は、京都の東寺にある千住観音像の腕の中から発見された物とされています。仏像の腕の中から発見された事を鑑みると、木簡や桧扇は現代で言う所の遊び心ある署名の様な物であったのかもしれません。

というのも、大工さんは昔から自分の建てた家の天井に自分の銘が入った墨壺などを置くという慣例があるためで先にご紹介した千住観音像の腕で見つかった木簡は、それに近い感覚で置かれたものではないかと推測できます。

扇子に近づいた時代

平安時代も中頃になると、細い骨を5,6本組み合わせて紙を貼り作られた蝙蝠扇と呼ばれる物が存在しました。こちらは、現代のせんすの形に近く、用途こそ現代の様に定まっていませんでしたが、これが扇子の原型だとされます。

蝙蝠扇は、儀式や儀礼、贈答をメインとして、中には和歌を扇面に書き込んで手紙のように渡す洒落た使い方が行われていました。また更に言えば、ある程度の位にいる人間しか持つことが出来なかったため、価値を視覚的に表す様なアイテムであったとされます。

またこの頃になると扇面に彩色や色などを施して豪華な印象を浮かべる扇も登場し、公家から武家社会への移行、能や狂言、茶席文化などの発展などから、徐々に庶民の間にも広まっていきました。

その結果、扇子が誕生したと言われます。

扇子誕生からの動き

せんすが誕生してから、庶民の間でも親しまれてきました。庶民の間で広まり続ける事で、今度は大陸中国に向けての輸出が始まったとされます。中国からヨーロッパ諸国へと広まり、ついにはルイ王朝でも親しまれていたとされます。

この国外輸出が何をもたらしたかと言えば、中国からはそれまで片面扇子が主流だった日本に唐扇と呼ばれる両面貼りの技術が取り入れられました。またヨーロッパからへ伝わったことにより、絹扇が日本に入ってきました。

江戸中期の頃には、こうした逆輸入品を日本人は改良し、また輸出を行っていたようです。

扇子の親しまれ方

扇子が庶民に親しまれ、大切にされてきたのか?が分かるこんな話があります。それは京の3職と呼ばれる華形職業についてで、冠、烏帽子作りと共に、官の保護を受けていたとされています。

それだけ、扇子職人は特別な存在であり、だからこそ扇子が親しまれていた事が容易に想像できます。

この様に扇子には深い歴史があり、だからこそ根強く親しまれているのではないかと言えます。江戸明治大正と経て、昭和に入り、一時期の衰退の道を辿りましたが、また緩やかではありますが、人気を取り戻しつつあります。

それは文化を保護する事、日本人の情緒に触れる事、そして自然な高級感を感じさせる事と言った扇子が持つ特別性があるからではないでしょうか。当店では、今後共オリジナル制作を通し、この日本の伝統工芸品と親しんで行きたいと思います。

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